ベトナム南部ドンタップ省フーク工県(旧タムノン県)で、120ヘクタールの塩害・酸性土壌を完全機械化と無人航空機(ドローン)によって運用する「足跡なし田んぼ(cánh đồng không dấu chân)」が、2026年の低排出米プログラムの旗手として全国的な注目を集めている。耕耘から播種、施肥、農薬散布、収穫まで一切人間が田んぼに足を踏み入れず、年間総収入は60億ドン(約3,529万円、1JPY=170VND換算)に達する。担い手はグエン・ヴァン・カイン氏(Nguyễn Văn Khanh)で、政府が推進する「メコンデルタ100万ヘクタール高品質低排出米計画」の象徴的事例となっている。
ニュース詳細
カイン氏は2008年に両親から10ヘクタールを相続し、親戚から70ヘクタールを賃借、2012年には隣接する40ヘクタールを購入して計120ヘクタールにまで拡大してきた。塩害・酸性が強くかつては「誰も耕したがらない」と言われた土地で、彼は早くから日本米の試験栽培(2012〜2016年)、ロックトラディグループとの種籾生産契約、現在のタイ香米8号(KDM8)とビナライス社(Vinarice)との契約栽培へと品種戦略を転換してきた。
2025年の年間総収入は60億ドン超。利益率は1ヘクタールあたり3,500万〜4,300万ドンに達し、従来比でコメ単価を1kg当たり100〜200ドン削減した。労働力40人を雇用し、毎年5,000万〜1億ドン規模の地域慈善活動も実施している。2026年からは政府の低排出米計画に正式参加し、有機・低排出栽培への完全転換とEU・米国市場向け認証取得を目指す。
背景: なぜ「足跡なし」が必要なのか
ドンタップ省はメコンデルタ西部に位置し、雨季の浸水と乾季の塩水浸入が交互に襲う難所だ。土壌の酸性度が強い「フェン土(đất phèn)」は伝統的に小規模農家には手に余り、放棄地の温床ともなってきた。カイン氏は土地集約と機械化を組み合わせ、人手依存を解消することで採算性を確保した。完全機械化+ドローンは作業安全だけでなく、メタン発生抑制、水資源効率化、温室効果ガス削減という低排出米プログラムの要件にも合致する。
政府の「メコンデルタ100万ヘクタール高品質低排出米計画」では、全国でドローン稼働4,000機・AI病害検知93%精度の精密農業を進めており、カイン氏の取り組みはまさにその実証モデルである。
数値で見るドンタップ・カイン氏モデル
| 項目 | 数値 | 円換算(170VND=1JPY) |
|---|---|---|
| 耕作面積 | 120ヘクタール | — |
| 2025年総収入 | 60億ドン超 | 約3,529万円 |
| 利益率/ha | 3,500万〜4,300万ドン | 約20.6万〜25.3万円 |
| 単価削減 | 100〜200ドン/kg | 約0.59〜1.18円/kg |
| 地域雇用 | 40人 | — |
| 慈善支出 | 年5,000万〜1億ドン | 約29万〜59万円 |
| 主要品種 | タイ香米8号(KDM8) | — |
| 提携先 | ビナライス社(Vinarice) | — |
業界・現地の反応
農業環境省(MAE)の関係者は「カイン氏のモデルは100万ヘクタール計画の中で、酸性土壌地帯における機械化と低排出栽培の同時実現を示した貴重な実績だ」と評価している。ドンタップ省人民委員会も低排出米モデル拡大を「省全体の戦略」と位置付け、種籾・施肥・MRV(測定・報告・検証)支援を強化する方針を打ち出している。
ビナライス社の経営陣は、カイン氏の生産する香米について「契約数量・品質ともに安定しており、EU市場への直販ルート確立の柱になる」とコメント。地元のロックトラディグループは、種籾事業を通じて「同様の100ha級農家を5名育成し、ドンタップ省を低排出米のショーケース化する」計画を表明している。一方、世界銀行は「メコンデルタ低排出米のカーボンクレジットを1トン当たり10ドルで購入する」と表明しており、1ヘクタール当たり年間100ドル規模の追加収入も視野に入る。
日本農業関係者・輸入業者への実務情報
日本の食品メーカーや商社にとって、ドンタップ産の低排出米は2つの観点で関心が高い。第一に、認証付き低排出米の最初の対日輸出が500トン規模で実現したことで、SDGs対応・サステナブル調達を訴求する商品の原料候補となる。第二に、ビナライス社や類似の契約農家ネットワークを通じて、トレーサビリティ確保の上で日本仕様(粒の大きさ・水分率・残留農薬基準)に合わせたカスタマイズ調達が可能になりつつある。
外食・コンビニOEM・冷凍米飯メーカーにとっては、香米KDM8と日本米の用途別使い分け、低GHG米のCSRストーリー化が現実的な選択肢となる。なお農薬残留・カドミウム等の検査体制は省人民委員会と契約企業側で整備が進むが、輸入時には自社ロットごとの分析証明(CoA)取得を継続することが望ましい。
業界への波及
「足跡なし」モデルが省全体に広がれば、メコンデルタの労働集約型稲作はドラスティックに変わる。完全機械化は離農高齢化の解消策となり、ドローン散布は農薬使用量を最大2〜3回/作削減できる。さらに、稲わら処理・稲株の分解管理を組み合わせることで、メタン発生量はヘクタール当たり3〜4トンCO2換算減と試算されており、カイン氏の120haだけで年間360〜480トンCO2のオフセットに相当する。
カーボンクレジット市場が本格稼働すれば、こうした農家は「米生産者」から「気候資産の所有者」へ位置付けが変わる。世界銀行の購入価格10ドル/トンは初期水準に過ぎず、EUのCBAM対応や日本のJ-クレジット購入需要が加わると、収益の柱が単価ではなくクレジットに移行する可能性がある。
実用情報まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | ドンタップ省フーク工県 |
| 面積 | 120ha(塩害・酸性土壌) |
| 主要品種 | タイ香米8号(KDM8) |
| 契約先 | ビナライス社(Vinarice) |
| 機械化レベル | 耕耘〜収穫まで完全機械化+ドローン散布 |
| 低排出米計画参加 | 2026年正式参加 |
| カーボンクレジット | 世界銀行が10ドル/トンで購入 |
| 日本向け輸出 | 認証低排出米500トン(2026年初) |
まとめ
ドンタップ省の「足跡なし田んぼ」は、塩害・酸性土壌×低排出米×カーボンクレジットという三重の難題を、土地集約と完全機械化で解いた稀有な事例だ。輸出米としての商品力だけでなく、気候資産としての価値が乗ることで、メコンデルタの稲作経済は単価競争から脱しつつある。日本の輸入業者・OEMメーカーにとっては、原料調達と同時にサステナブルストーリーを共同設計するパートナー候補として、こうした先進農家の動向を継続的にウォッチする価値がある。