ベトナムの水産と聞くと、多くの日本のバイヤーはメコンデルタのエビやパンガシウス、あるいは中南部の海面養殖を思い浮かべる。だが今回、ゲアン省の山あいにあるダム湖から届いた小さなニュースは、その地図に抜けている一区画を照らし出している。海でも川でもない、発電用の人造湖の水面で特産魚が育ち、市場に出せばその日のうちに売り切れるという。調達の視点から見ると、これは単なる地方の成功譚では終わらない。
起点となったゲアン省の話
舞台はゲアン省イェンナ社、北中部で最大規模とされるバンベー水力発電ダム湖である。ここでは18戸が湖面に網生簀(lồng)を浮かべ、合計161基のケージで淡水魚を育てている。魚種は大型ナマズのカーレオ(cá leo)、ナマズ類のカーラン(cá lăng)、ソウギョなどコイ科(cá trắm)、そして高級魚として扱われるマーブルゴビー(cá bống tượng)。いずれも身が締まり、一尾ずつが丸々と太ることで知られる。1990年生まれのロー・ヴァン・ドン氏は20基、1962年生まれのルオン・カム・ファン氏は18基を運営し、ファン氏の一家は年に数億ドン規模の収入を得ているという。飼料は湖で獲れる天然の小魚が中心で、バナナの葉や草も補助的に与える。透明度の高い深い水と豊富な天然エサが、養殖魚らしからぬ肉質を生んでいる。
ベトナムの内水面養殖という土台
この一件を地方の逸話にとどめないためには、背景にあるベトナムの内水面養殖の厚みを押さえておきたい。ベトナムの養殖生産は海面養殖だけでなく、河川・湖沼・ため池を使った内水面養殖が大きな柱になっている。メコンデルタのパンガシウスやティラピアがその代表格だが、北部・中部の山間部には発電ダムや灌漑用の人造湖が数多くあり、その水面は長らく発電と治水のためだけに使われてきた。バンベーのような事例は、その遊休水面を養殖資源として読み替える動きにあたる。海面養殖が台風や赤潮、沿岸の過密といったリスクを抱えるなか、内陸のダム湖は水温と水質が安定し、時化で作業が止まることもない。産地としての性格が海とはまるで違う。ベトナム政府も水産計画のなかで内水面と貯水池の活用を掲げており、山間の省では発電会社と自治体が水面利用のルールを整えつつある。海岸線を持たない内陸の省にとって、ダム湖はほぼ唯一の大規模な水産適地であり、そこに養殖という産業を根づかせる意味は現金収入以上に大きい。
数字で見る内水面という選択肢
ダム湖養殖の輪郭を、公表された範囲の数値で整理しておく。ここに載せたのは起点記事で確認できた事実のみで、推計は避けた。
| 項目 | 内容(バンベーダム湖・イェンナ社) |
|---|---|
| 立地 | ゲアン省イェンナ社/北中部最大規模のダム湖 |
| 養殖戸数 | 18戸 |
| ケージ総数 | 161基 |
| 主な魚種 | カーレオ・カーラン・ソウギョ・マーブルゴビー |
| 飼料 | 湖の天然小魚+バナナの葉・草 |
| 1基あたり年収 | 約2,000万ドン(日本円で十数万円規模) |
1基あたり年2,000万ドンという数字は、日本の水産事業の感覚では小さく映る。だが161基が積み上がれば地域全体では相応の生産量になり、しかもそのほとんどが天然エサで賄われている点は原料コストの観点で見逃せない。金額の大小より、稼働している水面と魚種の組み合わせがどこにあるかを知ることに、調達側の価値がある。
現地と業界の受け止め
起点記事とその周辺から読み取れる声を、三つの立場に分けて拾っておく。第一に養殖する側。ファン氏のように十数基を回す世帯にとって、ダム湖は元手の小さい漁具と天然エサで始められる生業であり、「出せばすぐ売れる」という需要の強さが継続の理由になっている。第二に地域行政の視点。発電ダムの水面利用を養殖に開くことは、山間部の現金収入源を増やし、若い世代を地元にとどめる手立てとして期待されている。ドン氏が30代でこの規模を担っていること自体が、その象徴といえる。
第三に流通・買い手の側だ。バンベーの魚は地元やゲアン省内で即日さばける規模にとどまり、まだ広域流通に乗っていない。裏を返せば、価格や品質が外部の需要にさらされておらず、産地としての伸びしろが手つかずのまま残っているということでもある。海面養殖のように輸出企業が入り込んでいない分、産地との距離の取り方次第で関係の作り方に自由度がある。
日本の水産原料バイヤーへの示唆
ここからが調達の本題である。日本の水産原料バイヤーがベトナムを見るとき、視線はどうしても輸出実績のある海面・汽水の魚種に集中する。エビ、パンガシウス、ティラピア、そして直近ではホタテの加工ハブのような話題が中心だ。だが内水面のダム湖養殖は、その供給網とは別の水系から出てくるタンパク源であり、海の変調と連動しにくいという分散価値を持つ。台風で沿岸の生簀が流されても、内陸の湖は影響を受けない。ソーシングを一つの水系に寄せない発想からすると、こうした穴場の産地を地図に書き込んでおく意味は大きい。
もっとも、そのまま輸入原料になるわけではない。ダム湖の淡水魚は鮮魚として地元で消費される前提で育っており、加工・冷凍・衛生管理の体制は海面養殖の輸出企業ほど整っていない。日本向けに使うなら、パンガシウスが量産から加工品へ舵を切ったように、フィレやすり身といった加工の受け皿とセットで産地を見立てる必要がある。原魚の産地としてではなく、加工前の一次供給源としてどう組み込むか。その設計図を先に描けるバイヤーが、まだ競合の少ないうちに関係を築ける。
業界への波及
内水面養殖の広がりは、ベトナムの水産全体の性格を少しずつ変えていく。海面養殖では、過密や台風への対応としてHDPE素材の耐久生簀への転換が進むが、内陸のダム湖はそもそも時化のリスクが低く、木製の簡素な生簀でも成立してしまう。設備投資の重さがまるで違う。この参入障壁の低さは、山間部の世帯が現金収入を得る入口として機能し、ベトナムのタンパク供給を海岸線から内陸へと面的に広げる。買い手の側から見れば、調達候補となる産地の数と地理的な広がりが増えるということだ。海の状況一つに供給が左右されない構造へと、産地マップが厚みを増していく。
実務で押さえておきたいこと
実際に内水面の産地に当たるなら、いくつか確認の順序がある。まず魚種の性格を見極めること。マーブルゴビーのような高級ハゼは活魚・鮮魚での需要が強く、加工原料には向きにくい一方、ソウギョやナマズ類はすり身やフィレの余地がある。次に生産の連続性。天然小魚を飼料にする方式は原料コストを抑えるが、湖の資源量に生産が縛られるため、規模拡大には配合飼料への移行が前提になる。そして最後に衛生と物流。ダム湖は内陸山間部にあり、鮮度を保ったまま港や加工場へ運ぶ経路が整っているかが、輸出可否を分ける最大の関門になる。産地の魅力より先に、この三点を現地で確かめておきたい。加えて、天然エサ依存の生産は季節や湖の水位で獲れ高が振れるため、通年で一定量を確保したい買い手は複数のダム湖・複数戸に分けて当たる構えが要る。
まとめ
ゲアン省バンベーダム湖の淡水魚養殖は、金額だけ見れば地方の小さな生業にすぎない。だが海でも川でもない発電用の人造湖という、これまで調達の地図から漏れていた水面が、安定した水質と天然エサで特産魚を育てている事実は、水産原料の産地を一つの水系に寄せない発想を後押しする。輸出体制が未整備という弱みは、裏返せば競合の少ない穴場という強みでもある。加工の受け皿と物流を先に設計できる買い手にとって、内水面はベトナム調達のもう一枚の手札になる。