ベトナム中部クアンチ省フォンフン(Hướng Phùng)でアラビカを1ヘクタール育てるレ・チャン(Lê Tráng)さんの畑は、2025年に生の果実で約20トンを出した。それを加工業者へ渡す平均単価は1kgあたり2万6000ドン(約149円)。同じ豆が最終的にスペシャルティ製品として店頭に並ぶと1kg28万ドン(約1600円)になる。10倍の差のほとんどは、収穫地であるフォンフンの外で生まれている。地元紙Nông nghiệp và Môi trườngが8月24日に報じたこの構図は、ベトナム産アラビカを買おうとする日本の焙煎業者や商社にとって、価格の裏側で何が起きているかを読む材料になる。
この記事が扱うのは、中国向け輸出の急増でも対米関税でもない。原料が産地を出た後、付加価値が誰の手に残るかという分配の話だ。調達側が「安く買えた」と思う値段の下で、産地の再投資余力が細っていく仕組みを見ておくと、契約の組み方が変わる。
果実2万6000ドンと製品28万ドンの間に何が挟まっているか
1kgの数字だけを並べると、果実2万6000ドンが製品28万ドンへ跳ね上がる。ただしこれは同じ重さの比較ではない。生の果実は水分と果肉を抱えており、精製・乾燥・脱殻を経て生豆になる段階で目方が大きく落ちる。そこへ選別、焙煎、包装、ブランド化のコストと利幅が乗る。つまり10倍という数字は単純な上乗せ率ではなく、加工と流通の各工程が積み上げた価格だ。
問題は、その工程のほぼ全部が農家の畑の外にある点にある。果実を売り切った時点でチャンさんの取り分は確定し、その後の値付けに産地は関与できない。品質を上げても、果実段階での上乗せは1kgあたり5000〜7000ドン(約29〜40円)にとどまる。手間をかけて丁寧に摘み、選果しても、報われる幅がこの程度なら、次の一手として設備や人手に投資する動機は生まれにくい。
「丁寧に作れば高いが、手間も増える」というレ・チャンの計算
チャンさんの言葉は率直だ。「丁寧に作れば価格は上がる。ただ手入れの手間もそのぶん増える」。この一文に、産地に価値が残らない構造が凝縮されている。高値がつくのは完熟実だけを摘み、発酵と乾燥を管理したロットだが、その追加労働に見合うプレミアムが果実段階で払われていない。買い手が求める品質と、農家が受け取る対価の間に段差がある限り、産地は量で稼ぐやり方から抜けられない。
同じクアンチ省では、日陰樹を戻して土と生態系を整えると豆の単価が上がるという実証も動いている。栽培の作り込みで川上の価値を底上げする流れは、コーヒー畑に森を返すと単価が上がるクアンチ産アラビカの現場と地続きだ。ただし栽培の努力を価格に翻訳する回路がなければ、上がった品質は買い手の利益に吸われて終わる。
HTXボンフオンの加工と、146haで回る果皮の肥料化
産地に価値をとどめる動きが皆無なわけではない。フォンフンには、収集から精製・包装までを担うHTX(協同組合)ボンフオン(Bốn Phương)がある。組合が手がける「ボンフオン・コーヒー」は2025年に国レベルの優良農村工業製品として表彰され、加工と小売の段階を産地側で握る足がかりになっている。栽培だけを担う農家と、加工まで抱える組合とでは、同じ豆でも手元に残る額が変わる。
もう一つが循環の設計だ。省内では、コーヒーの果皮など副産物を肥料に戻す146ヘクタールの実証区で、収量が1ヘクタールあたり7〜8トンから12〜15トンへ伸び、資材費も2〜3百万ドン下がったという。捨てていた部分を原料地の中で資源に変える発想で、コーヒーの枝葉を資源に変える脱炭素の取り組みと同じ方向を向く。肥料代を下げ収量を上げる循環は、農家の採算を内側から支える現実的な一手になる。
価格保証と安定需要が同時に立たない膠着
それでも大半の小農は組合の枠外に置かれている。記事に登場するホー・ティ・ヴァン(Hồ Thị Vân)さんのような農家が正式な連携に入れないのは、市場の吸収力が足りないからだ。ここに膠着がある。農家は品質へ投資するために価格保証を求め、組合や企業は契約を出すために安定した需要を必要とする。片方が動けば片方も動くのに、どちらも先に踏み出せない。
組合が抱えられる加工量には上限があり、引き取り先の需要が細れば、契約を広げるほど在庫と資金の負担が組合に跳ね返る。だから連携の輪は、市場の吸収力の分しか広がらない。クアンチ省農業環境局の担当者も、この連携の難しさを認めている。行政が旗を振っても、果実を売り切る従来の取引が続く限り、加工まで一体で回す産地は増えない。ダクラク省で豆を粉や製品の形で出そうとする加工にかじを切る産地の試みも、同じ需要側の確約という壁に突き当たっている。付加価値化は掛け声では進まず、買い手の長期コミットが引き金になる。
日本の焙煎・商社が結ぶ契約が、産地の分配を動かす
日本のスペシャルティ市場にとって、ケサン(Khe Sanh)を含むフォンフンのアラビカは、昼夜の寒暖差の大きい高地条件から生まれる個性で扱いやすい産地だ。ただ調達を果実相場の安さで見ると、産地の再投資が痩せていく構造に自分も乗ってしまう。単価2万6000ドンの裏で品質向上のプレミアムが5000〜7000ドンしか回っていない事実は、日本側が価格の何に対価を払うかを問い直す。
実務では、完熟摘みや発酵管理といった工程に紐づく品質プレミアムを果実段階で明示し、複数年の引き取り量を先に約束する契約が効く。組合ボンフオンのように加工まで担う相手と組めば、日本の焙煎業者は産地の価値保持に加担しながらトレースの利いた豆を得られる。安く買う交渉より、産地が加工へ投資できる価格帯を一緒に設計するほうが、供給の質と量を長く保てる。
買い手が次に確かめるべきこと
クアンチのアラビカは、量では中国向けドリアンのような派手さはない。それでも「原料が産地を出た後、価値が誰に残るか」という問いは、コーヒーに限らずベトナム産一次産品を調達するすべての場面で繰り返される。レ・チャンさんの1ヘクタールと20トンは、その縮図だ。
- 果実相場の安さだけで判断せず、完熟摘み・発酵管理などの工程プレミアムを果実段階で価格に織り込む
- 加工・包装まで担うHTX(ボンフオン等)を窓口に選び、産地側に付加価値が残る取引を優先する
- 単年スポットでなく複数年の引き取り量を先に確約し、農家が品質投資へ動ける条件を作る
- 果皮の肥料化のような循環モデルの有無を確認し、原料地のコスト構造と持続性を見る
スペシャルティの28万ドンを支えているのは、2万6000ドンで果実を手放す農家の労働だ。その落差をどこで埋めるかを契約で決めるのは、最終的に豆を買う側の判断になる。