2026年7月26日、ベトナムのVietnamNetが、韓国のブドウ農園で5年働いた1986年生まれの男性が帰国後、妻の実家があるタインホア省で1,200株のぶどう園を立ち上げ、年商40億ドン(1円=約162VND、2026年7月時点で約2,470万円)を見込むと報じた。苗は韓国の元雇い主の農園から直接送ってもらい、栽培でつまずいたときの相談にも応じてもらっているという。出稼ぎ労働者が賃金だけでなく「産地をつくる一式」を持ち帰った事例で、日本の農業が同じベトナムから毎年人を受け入れている構図と正面から重なる。日本の調達担当にとっての論点は、この1haがいつ仕入れ先になるかではなく、同じことが日本の畑を起点に起きたとき手元に何が残るか、である。
韓国の雇い主が苗を渡した、タインホア1,200株の出発点
VietnamNetによれば、主人公はハノイ市ダンフオン出身のNguyễn Hữu Huân氏。2019年から2024年初めまで、韓国のぶどう農園で働いた。帰国後にハノイへ戻らず、妻Trần Thị Nhung氏の実家があるタインホア省ドンティエン坊グエンハイン村を選び、収益性の低かった土地1ha超を借りて園を起こしている。
特徴は苗の調達経路にある。韓国の農場主は、Huân氏がベトナムで独立すると知ると、ミルクぶどう(nho sữa)とBK種の苗を自ら供給し、その後も技術的な質問に答え続けているとVietnamNetは伝えている。1,200株はそこから来た。ハウスは鉄骨をボルトで組む方式で、溶接せずに解体・移設できる。肥料はミミズを使った自家製の有機資材とバナナの発酵液で、化学肥料に頼らない設計だとDoanh nghiệp & Kinh tế Xanh が報じた。
「酷使しなければ、1株から30〜40年は収穫できる」。Huân氏はVietnamNetにそう語っている。1ha超のうち現在稼働しているのは5,000㎡で、収穫は年2回。旧暦の1月頃と8月頃には房を間引き、残した粒に養分を寄せるとHuân氏は説明している。
ベトナムで「ミルクぶどう」と呼ばれているものの正体
ベトナムの市場で nho sữa と呼ばれる大粒の緑色ぶどうは、日本の農研機構が育成したシャインマスカットの系統を指すことが多い。農研機構の公表資料では、シャインマスカットは「ブドウ安芸津21号」に「白南」を交雑して育成され、2006年に品種登録された(登録番号13891)。ただし原文はこの園の品種を nho sữa と nho BK としか書いておらず、系統までは特定していない。系統が何であれ、ベトナムの消費者の側はそれを「韓国から来たぶどう」として受け取る。
連鎖は1回で終わっていない。日本農業新聞は、シャインマスカットが中国・韓国へ無断で広がった結果、農林水産省の試算で許諾料収入の逸失が年間200億円弱に達すると報じている。同紙が示した2022年時点の栽培面積は中国が約7万3,700ha、韓国が約6,067haで、両国合計は日本の30倍。日本の品種が海を渡り、そこで働いた第三国の労働者が苗ごと自国へ運ぶ。タインホアの1,200株は、この流れの3段目に位置している。
ベトナム側の当事者から見れば、これは輸出の話ではなく輸入代替の話だ。韓国は自国の食品を売り込む拠点としてベトナムを重く見ており(韓国が越をKフード物流ハブに、日本の調達はどう動く)、その韓国産や日本産の高級ぶどうが押さえていた棚の一部を、国産の同等品が取りにいく。
数字で見る1,200株──投資・収量・単価
| 項目 | 報じられた数値 | 円換算(1円=約162VND) |
|---|---|---|
| 借地面積 | 1ha超(うち稼働5,000㎡) | — |
| 植栽本数 | 約1,200株 | — |
| 初期投資 | 30〜40億ドン | 約1,850万〜2,470万円 |
| 年間収量 | 約15トン(年2回収穫) | — |
| 卸単価 | 250,000ドン/kg | 約1,540円 |
| 小売単価 | 300,000〜450,000ドン/kg | 約1,850〜2,780円 |
| 想定年商 | 40億ドン近く | 約2,470万円 |
| 投資回収の見込み | 安定生産で約1年 | — |
15トンに250,000ドンを掛けると37.5億ドンとなり、VietnamNetの「40億ドン近く」という見立てと数字は合う。ただし収量には媒体間の開きがある。VietnamNetが年約15トンとするのに対し、Doanh nghiệp & Kinh tế Xanh は約6トン・単価約290,000ドン(約1,790円)と伝えており、この前提だと年商は17億ドン台(約1,070万円)にとどまる。VietnamNetは稼働中の5,000㎡から年15トンという見通しを書いており、Doanh nghiệp & Kinh tế Xanh の6トンは今季の見込みとして示された数字だ。加えて2025年には暴風雨でハウスが破れ、その年の収穫は約60kgにとどまっている。産地評価の初期段階では、低いほうの数字で規模感を置くのが実務的だ。
誰が、どの立場から評価しているか
ドンティエン坊農民会の副会長を務めるLê Thị Vân Anh氏は、この園を「年に数十億ドンの売上をもたらす潜在力がある」モデルと位置づけつつ、自家製資材で投入をまかなう持続型の生産だと説明している。同時に、農業が自然災害に弱いという条件は変わらないとも述べており、地元行政の側も一本調子で持ち上げてはいない。
Huân氏自身の言葉は、収益より工程の重さに寄っている。Doanh nghiệp & Kinh tế Xanh の取材には「クリーンな農業のほうがきつく、金もかかる。それでも自分の家族が安心して口にできるものを作っている」と話した。単価250,000ドンの根拠を、認証ではなく自分の家族基準に置いている点は、バイヤー側から見ると評価軸が定まっていないということでもある。
韓国側の元雇い主も、無言の当事者として登場する。VietnamNetは、この農場主が苗を供給しただけでなく、Huân氏が困ったときに技術支援を続けていると伝えている。人材を送り出した側が競合の芽を育てる行為に見えるが、韓国国内の高級ぶどう市場とベトナム国内市場は現時点で競合しない。距離があるうちは、のれん分けはコストにならない。
日本側の反応は、同じ構図を逆側から見たものになる。関西テレビが2025年10月に伝えたところでは、農林水産省が海外生産を許諾して使用料を得る方向を検討しているのに対し、山梨県知事は「そもそも輸出できない環境で先にライセンス許可を出すのは国内生産に打撃を与える」として反発している。守るのか、条件付きで開いて回収するのか。決着はついていない。
生果は買えない。それでも見に行く理由が3つある
第一に、ぶどうの生果は日本への調達ルートが存在しない。ベトナム産の生果実で対日輸入が認められているのは白肉種・赤肉種のドラゴンフルーツ、カッチュー種マンゴー、ライチ、リュウガンなど限られた品目で、ぶどうは含まれていない。品目ごとに二国間の植物検疫協議と処理施設の指定が要るため、仮に協議が始まっても数年単位の話になる。現地で見て気に入っても、そのままコンテナには積めない。
第二に、価格帯が市場の性格を語っている。卸250,000ドン/kgは約1,540円で、日本の国産高級ぶどうと同じ土俵の単価だ。これは安い調達先の話ではなく、ベトナム国内の富裕層向け輸入代替の話である。日系小売・外食がベトナムで現地調達を組むときの候補、あるいは日本産ぶどうを同国へ売る側にとっての競合として読むほうが実態に近い。日本産の輸出は、JETROの集計で2023年が3,538万ドル・2,107トン。政府は2030年に380億円という目標を掲げているが、その伸ばし先には東南アジアが含まれる。
第三に、この人物像そのものが調達データになる。海外の高度な生産現場で数年働き、品種と栽培体系と元雇い主の人脈を持って帰る層は、ベトナムの新興産地で今後も増える。韓国は2025年に1万1,600人を超えるベトナム人労働者を受け入れており、季節勤労(E-8)の受け入れ上限も同年は7万5,000人に設定された。母数がこれだけあれば、Huân氏のような帰国就農は例外ではなくなる。産地開拓の担当者は、地域名ではなく「どこで何年働いた誰か」で候補を持つべき局面に入っている。北部で夜間のLEDと観光を組み合わせて稼ぐドラゴンフルーツ農家のように(夜のLEDと観光で利益8億ドン、北部ドラゴンフルーツの設計)、面積が小さくても技術密度の高い園は各地に散り始めた。
2027年、日本が「渡す側」に回る
技能実習制度は2027年4月に育成就労制度へ切り替わる。原則3年の就労を通じて特定技能1号の水準まで育て、そのまま特定技能へ移行させることを前提にした制度で、2030年頃までは旧制度と併存する見通しだ。育成の色が濃くなるほど、日本の農場で品種選定から仕立て、出荷規格までを一通り習得した人材が増える。彼らが帰国してぶどうや苺やメロンを植えたとき、日本には何が残るのか。
タインホアの事例が示したのは、技術移転を止めるレバーが実は苗にあったという点だ。韓国の農場主は苗を渡したから、ベトナムの園は3年目に立ち上がった。逆に言えば、苗を渡さなければ同じ速度では立ち上がらない。日本の産地でも、日本産マンゴーの品種がホーチミン近郊で実った例がすでに報じられており(宮崎マンゴーがサイゴン郊外で実った、日本ブランドは守れるのか)、流出は仮定の話ではない。
選べる道は二つある。育成者権を海外で押さえて締める道と、許諾料と資材・苗・指導料で回収する道だ。シャインマスカットの試算が突きつけたのは、前者を怠ったまま時間が過ぎると、後者の交渉力すら残らないという結果だった。
実務メモ:この産地に触れる前に確認する項目
| 確認項目 | 現状 | 実務上の読み方 |
|---|---|---|
| 所在 | タインホア省ドンティエン坊グエンハイン村 | ハノイから南下する幹線沿い。視察は日帰り圏 |
| 対日輸入可否(生果) | ぶどうは解禁品目に含まれない | 日本向け生果の直接調達は現時点で不可 |
| 解禁済みの越産生果実 | 白肉種・赤肉種ドラゴンフルーツ、カッチュー種マンゴー、ライチ、リュウガン等 | 蒸熱処理施設の指定と輸出検査が前提条件 |
| 供給規模 | 稼働5,000㎡・年2回収穫 | コンテナ単位のロットは立たない。現地流通向け |
| 価格帯 | 卸250,000ドン/kg(約1,540円) | 国産高級ぶどうと同水準。低単価調達の対象外 |
| 栽培方式 | 解体可能な鉄骨ボルト組みハウス、自家製有機資材 | 有機認証の取得状況は報じられていない。書面確認が要る |
| 接触経路 | ドンティエン坊農民会(副会長Lê Thị Vân Anh氏) | 個人農家への直接接触より、坊農民会経由が現実的 |
| 為替前提 | 1円=約162VND(2026年7月時点) | 単価交渉は必ずドン建てで固定する |
まとめ
タインホアの1,200株は、日本の仕入れ先リストに今すぐ載る話ではない。載らない理由も明快で、ぶどうという品目に対日の検疫ルートが開いていないからだ。それでもこの記事を追う価値があるのは、産地が立ち上がる速度と経路が具体的に見えているからで、5年の出稼ぎ、元雇い主からの苗、解体できるハウス、自家製の有機資材という4点が揃えば、暴風雨で一年ぶんを失った後でも、3年目には年商数十億ドンの見通しを口にできるところまで戻る。
調達側が次にやることは三つに絞れる。ベトナム国内で高級果実を扱う日系小売・外食の担当者は、輸入代替の候補として坊農民会経由で現物を確認しにいくこと。日本産果実の輸出に関わる立場なら、同国内での価格競合が国産側から始まった前提で値決めを組み直すこと。そして受け入れ側の農業法人は、2027年の育成就労移行を待たずに、品種と苗木の扱いを定めた条項を雇用・研修の書面へ入れておくこと。渡すか渡さないかを決めるのは、渡した後ではなく渡す前しかない。
参照元:VietnamNet/Doanh nghiệp & Kinh tế Xanh/農研機構/日本農業新聞/関西テレビ/JETRO/農林水産省 植物防疫所/国際人材育成機構