ベトナム北部・中国国境のランソン省で、森を伐らずに薬用植物で稼ぐ集落が現れた。クオック・ベット社(Xã Quốc Việt)のバン・デン地区では、アカシアやクスノキ、竹林の日陰でサーニャン(sa nhân)を育てる「林下栽培」が広がり、18世帯のなかには年収1億VND(1円=約163VNDで換算し約61万円)を超える農家も出ている。サーニャンは日本の生薬名でいえば「縮砂(しゅくしゃ)」「砂仁(しゃにん)」にあたる原料で、日本のスパイス・生薬調達にも無縁の話ではない。産地が「採るだけ」から「育てて売る」へ移る現場を追う。
起点:林の下で18世帯が砂仁を育てる
地元紙ダンヴィエットが伝えたのは、ランソン省クオック・ベット社の取り組みだ。同社ではサーニャンの栽培面積が合計76haに達し、なかでもバン・デン地区(第2村・第3村)では13haを18世帯が手がける。植えるのは畑ではなく、既存の森の樹冠の下。日陰を好むサーニャンの性質を生かし、森を切り開かずに下草の空間を薬用作物に変えている。
収益は決して小さくない。地元農家のアン・フアン氏は2025年、1ha余りの林下から生果で1.5トンを収穫し、1kgあたり70,000VND(約430円)で売って年間1億VND超の収入を得た。栽培を始めたばかりのハー・ヴァン・トゥン氏でも初年度に生果100kgを65,000VND/kgで出荷している。バン・デン地区全体の2025年の収量は約6トンと報じられている。
なぜ今か:天然採取の限界と「伐らない林業」
この動きが注目されるのは、単なる副収入話ではないからだ。サーニャンはもともと森で自生する実を採取してきた植物だが、乱獲と森林減少で天然物は先細りしている。クオック・ベット社の農家がやっているのは、その天然資源を人の手で森の下に植え直し、収穫後は実をつけ終えた古株を切って新芽に養分と空間を回す循環栽培だ。手間は「根元の下草取りが中心」で、肥料も1haあたりNPK約5袋・肥料代100万VND程度と軽い。木を伐らずに森を残したまま現金収入を生む構図が、山間部の生計と森林保全を両立させる。
苗の増やし方にも地域の工夫がある。旧暦8月以降、収穫を終えた株から2芽・高さ25〜30cmの標準苗を選び、農家どうしが無償で融通し合う。2022年からはクオック・ベット社の人民委員会が農業生産発展プログラムのなかで苗を補助してきた。ランソン省ではマカダミアを輸出戦略作物に格上げする動きも進んでおり、国境の山間地が「森を活かす換金作物」に本腰を入れ始めている。
データで見る:農家の手取りと日本の調達温度差
報じられた数値を、為替(1円=約163VND、2026年7月時点)で日本円に換算して並べると、産地の実力が見えてくる。
| 項目 | ベトナム現地 | 円換算の目安 |
|---|---|---|
| 社全体の栽培面積 | 76ha | — |
| バン・デン地区 | 13ha/18世帯 | — |
| 買取価格(生果) | 65,000〜70,000VND/kg | 約400〜430円/kg |
| 先行農家の年収 | 1億VND超 | 約61万円超 |
| 地区の年間収量(2025年) | 約6トン | — |
ここで押さえたいのは、上の価格が乾燥前の「生果」の農家渡し値だという点だ。生薬として流通するのは乾燥した果実・種子で、選別・乾燥・加工を経れば単価はまるで変わる。日本の漢方原料市場で流通する砂仁・縮砂の多くは中国広東の陽春砂や、ベトナム・タイ産の縮砂だ。産地渡し430円/kgの生果が、加工と輸出を挟んでどれだけ付加価値を積めるかが、この産地の次の勝負どころになる。
現場の声:採取から栽培へ、意識が変わった
報道や地域の反応を意訳して整理すると、現場の空気は前向きだ。ある先行農家は「森を伐らずに済むから、山も収入も両方残せる」と栽培の手軽さを語る。始めたばかりの世帯からは「肥料も手間も少なく、失敗しても痛手が小さい。苗をタダで分けてもらえるのがありがたい」という声が上がる。行政側は「天然採取に頼っていた薬用植物を、住民の手で持続可能な産地に育てたい」と、単発の補助でなく買取保証を伴う企業連携へ広げる意向を示す。産地としては、サーニャンに加えてジャワニクズク(黄花茶などの薬用植物)も含めた「深加工」まで一貫させ、原料の素売りから抜け出す青写真を描いている。
日本の輸入業者・生薬業界への示唆
日本の調達担当が見るべき点は三つある。第一に、サーニャン=縮砂・砂仁という原料の性格だ。これは香砂六君子湯や参苓白朮散などに配合される、実需のある漢方原料で、決してニッチな山菜ではない。中国産の陽春砂に価格・品質で振り回されてきた買い手にとって、ベトナム北部に「素性の分かる栽培産地」が育つことは、調達先の分散という意味を持つ。
第二に、林下栽培という生産方式そのものだ。森を残したまま薬用作物を育てる手法は、トレーサビリティやサステナビリティの物語と相性がよい。日本でも天然採取に限界の薬用根を計画的に産地化する動きが越北で広がっており、「どこの森で、誰が、どう育てたか」を語れる原料の価値は今後上がる。第三に、加工の段階だ。産地が精油や粉末など深加工に踏み込むと、単なる原料バイヤーだけでなく、加工品の共同開発や一次加工の委託といった関わり方も見えてくる。クアンナム省の桂皮が樹皮売りをやめ精油で世界を狙うのと同じ道を、この砂仁産地もたどり得る。
市場・調達網への波及
ベトナムはもともとカルダモン類(Amomum・カオコウ含む)の産地で、2025年1〜9月にはカルダモン・ナツメグ合計で3,283トン・2,570万ドルを輸出したとされる。主要な仕向け先はオランダ・パキスタン・米国で、日本はまだ主戦場ではない。裏を返せば、対日ルートは開拓余地が大きいということだ。ランソンのような小規模産地が積み上げる栽培由来の原料は、量こそまだ限られるが、素性の確かさで差別化しやすい。加工クラスターが各地の産地に立ち上がるなか、山間部の薬用植物も「原料を送るだけ」から一歩踏み出す局面に入りつつある。
実用情報・関連リンク
サーニャン(縮砂・砂仁)の調達を検討する場合、まず確認したいのは「生果の産地渡し値」と「乾燥・選別後の輸出規格品の価格」を混同しないこと、そして残留農薬・重金属など生薬に求められる品質基準を産地側が満たせるかどうかだ。ランソンのような新興産地は栽培が始まって間もなく、供給ロットや乾燥・保管の体制はこれから整う段階にある。まずは加工事業者・地元組合との対話から入り、量産化と品質の安定を見極めるのが現実的だ。ベトナム北部の薬用・特用作物の動きは以下も参考になる。
まとめ:次に取るべきアクション
ランソン省クオック・ベット社の砂仁産地は、まだ年産数トン規模の小さな芽だ。だが「森を伐らずに稼ぐ」構造、行政の苗補助、深加工への意欲という三点が揃い、原料産地としての伸びしろは大きい。日本の生薬・スパイス調達の実務者に勧めたい次の一歩は、(1)サーニャン=縮砂・砂仁として自社の調達品目に照らし需要を棚卸しする、(2)ベトナム北部の栽培由来ロットについて乾燥後規格・品質基準を産地や加工業者に問い合わせる、(3)加工クラスターの立ち上がりを追い、原料買いだけでなく一次加工の委託・共同開発の余地を探る、の三つだ。中国一極に依存してきた漢方原料の調達を分散させる選択肢として、越北の「伐らない産地」は静かに存在感を増している。