ベトナム中北部ハティンの丘陵地で、7ha近い柑橘園を10年あまり守ってきた女性がいる。クエジャオ集落(Khe Giao、スアンロック社)のレー・ティ・スアンさんは、化学肥料を大量に使う施肥をやめ、完熟させた堆肥へ切り替えた。園の雑草は年1回刈るだけにとどめて刈草を堆肥に回し、昨年は園全体に防虫ネットを張った。農薬は生物由来のものに替え、散布は開花・着果期の予防1回にほぼ絞られたという。経費を引いたあとの家族の収入は年3億〜4億VND(1円=約162VNDで約185万〜247万円)。日本はベトナム産の生鮮かんきつを輸入できない国だが、それでもこの7haは日本の調達担当が読む値打ちがある。
台風で一晩の全損、そこから優先順位が入れ替わった
スアンさん夫妻は父祖から受け継いだ丘の畑でいくつもの作物を試し、思うような成果が出ないまま年月を送った。小面積で試作したカムチャン(cam chanh、ベトナムで広く栽培されるオレンジ系の柑橘)が土壌と気候に合ったことから少しずつ広げ、現在は7ha近くに達している。
転機は栽培技術ではなく災害だった。昨年、実をつけた園を台風が襲い、一晩で果実が斜面に散った。夫妻が園を走り回っても風の力の前に手立てがなく、1年分の成果がほぼ失われたと報じられている。
この損失のあと、スアンさんは収量を追う姿勢を後ろに下げた。根を張らせ、樹冠の風通しを確保して極端な気象に耐える樹をつくる方を先に置いた。本人はこう話している。「天災は避けられませんが、樹を丈夫に育てることはできます。力のある樹なら台風の後も回復の見込みがありますが、弱った樹はとても救えません」。耐候性を収量より前に置くという判断が、そのあとの資材選択を全部決めていく。
堆肥・草・ネット・生物農薬——効いた順番がある
報道から読み取れるこの園の管理は、4つが積み重なっている。順番に意味がある。
- 収穫が終わったらまず樹勢の回復。完熟させた堆肥を1株あたり5〜6kg施し、老いた枝を落とす
- 園の雑草を根絶やしにせず、年1回刈って抑えるだけにする。刈った草は集めて有機質肥料にし、土へ戻す
- 昨年、他地域の果樹モデルを視察して知った防虫ネットを園全体に導入。初期費用は小さくなかったが実行した
- 数年前から農薬を生物由来のものへ全面的に切り替え。開花・着果期に予防で1回散布し、以降はほぼ追加しない
スアンさんは、土が健康なら樹が健康になり、健康な樹でなければうまい果実はならない、と説明している。専門用語で語らず、汗と涙と、無一文になった経験で得た手順だ、というのが報道の書きぶりだった。
ここで見落としてはいけないのは、この園は薬剤散布をやめてはいないという点である。生物由来の農薬は使っているし、開花・着果期の予防散布も残っている。土づくりと物理的な遮断で防除の必要量を下げ、残った分を生物由来の資材でまかなう設計だ。日本側が産地情報を受け取るとき、この区別を曖昧にしたまま「有機」という一語で処理すると、あとで表示や取引条件の話になったときに必ず揉める。
省全体の数字に、この7haを重ねてみる
ハティンはベトナムでも柑橘の集積地のひとつで、省紙は2024年のオレンジの作付面積を約7,400ha、単収114タ/ha(11.4トン/ha)、生産量69,500トン超と伝えている。生産量を単収で割ると約6,100haとなり、この単収が結実期に入った面積にかかる数字だと分かる。産地はヴークアン、フオンケー、フオンソン、カンロクに集まる。スアンさんの園は、この集積のなかの1戸だ。
| 項目 | 数値 | 出所 |
|---|---|---|
| ハティン省のオレンジ作付面積(2024年) | 約7,400ha | 省紙バオハティン |
| 同・単収(2024年) | 114タ/ha(11.4トン/ha・結実面積ベース) | 同上 |
| 同・生産量(2024年) | 69,500トン超 | 同上 |
| スアンさんの園の面積 | 7ha近く | 原記事 |
| 同・年間出荷量 | 「数十トン」(原文表記のまま。内訳・単価は非公表) | 原記事 |
| 同・経費差引後の収入 | 年3億〜4億VND=約185万〜247万円 | 原記事 |
| ハティン省内の有機モデル園(3ha)の単収 | 2024年7.56トン/ha → 2025年8.5トン/ha | ノンギエップ・バ・モイチュオン |
| 同モデルの平均販売価格 | 1kgあたり約3万VND=約185円 | 同上 |
| 同モデルの利益 | 1haあたり約1億1,000万VND=約68万円(従来型比15〜20%増) | 同上 |
収入の3億〜4億VNDは売上ではなく経費を差し引いた後の金額で、7haで割ると1haあたり約26万〜35万円になる。原記事は単価を書いていないため、売上の推計はここでは出さない。省内の有機モデル園が1haあたり約68万円の利益を出しているのに比べると低く見えるが、モデル園は3haの実証区であり、7haを夫婦2人で回す園とは労働配分も更新負担も違う。
本人が語った「早く効く薬」の代償
この園がなぜ資材を替えたのか、報道に残るスアンさん本人の言葉は具体的だ。以前は周囲の柑橘農家と同じように化学農薬を使い、効きは速かったという。
「化学農薬をまくと虫はすぐ死にますが、土もすぐ痩せて樹が弱ります。たくさんまけば作業する人も薬を吸い込みますし、買う人は果実の残留を心配します」——薬効・地力・作業者の安全・買い手の不安を、同じ一文に並べている。産地の農家が販路側の目線を内面化している例として、かなり率直な部類に入る。
切り替え後についても、いいことばかりを語ってはいない。「生物農薬は効きが遅いので、病害虫をこまめに見ていく苦労はあります。ただ、その分は安心できます。土が固くならず、果実は自然な香りを保ちますし、お客さんの信頼も得やすい」。効果発現の遅さを観察労働で埋めているという自己申告は、日本側が同種の切り替えを産地に求めるときのコスト構造そのものだ。
栽培の日常については「柑橘を育てるのは小さい子を育てるのと同じで、毎日園に出ないといけません。数日気を抜けばすぐわかります」と語る。本人が今いちばん気にしているのは老木化で、園の更新には家族の手に余る資金が要ると述べ、苗と肥料への公的な支援策を望むと話している。更新資金が個別農家の壁になっている点は、後述する調達判断に直接効いてくる。
生鮮では買えない産地を、なぜ日本の調達が見るのか
まず前提を確認する。日本の植物防疫所がベトナム向けに示している案内では、オレンジ等のかんきつ類の生果実は日本へ持ち込めない区分に入る。生鮮で解禁されているのはドラゴンフルーツ、マンゴー、ライチ、リュウガンといった限られた品目で、ハティンのオレンジをコンテナで買い付ける選択肢は、少なくとも現時点では存在しない。
それでも読む値打ちがあるのは、この園が示しているのが商品ではなく原価の作り方だからだ。
日本の食品調達がベトナムの果実・野菜産地に出す要求は、たいてい残留農薬の水準と記録の整合に集約される。ところが産地側にそれを求めると、多くの場合「農薬を減らせ」という指示だけが降りて、代わりの防除手段が渡らない。減らせば病害虫が増え、収量が落ち、単価で埋まらなければ産地は元に戻る。スアンさんの園がやったのは逆で、堆肥で地力を戻し、草を残して土の乾きを抑え、ネットで侵入経路を物理的に塞いだ結果として、散布回数が下がっても回る状態ができた。
同じ因果は他の作目でも観察されている。温室で育てるパッションフルーツが病害虫の減少と単価の上昇を同時に取った事例(病害虫が減り単価が上がる、越パッションフルーツを温室で育てる二重の利益)は、防除を薬剤から構造物へ置き換えたという意味でハティンのネットと同型だ。山地の柑橘でも、トウモロコシから転換して減農薬で収入を伸ばした農家がソンラにいる(トウモロコシを柑橘に変えて収入10倍、ソンラ国境農家の減農薬)。産地に技術支援を入れるなら、資材の指定より先にこの順番を持ち込めるかどうかが成否を分ける。
ネットと草生が変える、熱帯柑橘の原価構造
防虫ネットの経済は、初期費用と耐用年数と省ける労働の三つで決まる。原記事はスアンさんの評価として、侵入する病害虫が目に見えて減り、散布回数が減り、果実の食害が減って外観が良くなった、初期は費用がかかるが長い目では管理労働が節約でき、ネットは繰り返し使える、と伝えている。金額は公表されていないので、投資回収年数はここでは書けない。
ただ、構造としては読める。熱帯の柑橘は年間を通じて害虫の圧力がかかり、散布は回数で効かせる運用になりやすい。ここに物理的な障壁を1回入れると、薬剤費だけでなく散布に伴う労働と機材と時間が同時に落ちる。夫婦2人で7haを回す経営では、この労働の削減分が資材費の削減分より大きい可能性が高い。原記事も、暑い季節は日が暮れてから園に出て夜遅くまで作業する日々を描いている。
草を刈り切らない管理も同じ発想の延長にある。除草の労働と資材を減らしながら、有機物を園内で循環させ、外部から買う肥料の量を減らす。生物由来の資材を軸にした防除は稲作でも広がりつつあり、農家自身が診断して判断する体制づくりが進む地域もある(農家が作物の医者になる日、クアンニン減農薬米が拓く対日調達)。柑橘のような多年生作物では、この判断力が樹の寿命そのものを左右する。
一方で弱点もはっきり出ている。老木化した面積の更新だ。多年生作物は更新期に収入が落ち、投資だけが先行する。産地全体で見れば、この時期をどう越えるかが供給の安定を決める変数になる。
接触する前に埋めておくべき空欄
この産地に業として関わるつもりなら、原記事から取れる情報と、取れない情報を分けておいたほうがいい。
| 確認項目 | 原記事から分かること | 実務での扱い |
|---|---|---|
| 所在 | ハティン、スアンロック社クエジャオ集落 | 2025年の行政区再編を経ているため、現行の行政区名を照会し直す |
| 作物・面積 | カムチャン、7ha近く | 樹齢構成と更新予定面積を別途確認 |
| 販売形態 | 仲買人が園地で全量買い取り | 買い取り単価・選別基準・支払条件は非公表 |
| 施肥 | 完熟堆肥を1株5〜6kg、刈草を堆肥化して還元 | 堆肥の原料と発酵管理の記録の有無を確認 |
| 防除 | 生物由来農薬、開花・着果期に予防1回、園全体に防虫ネット | 使用資材名・散布記録は非公表。残留分析の実績も未確認 |
| 認証 | 報道は「有機の方向で」と記述 | 有機認証・VietGAP等の取得は記事に記載がなく、断定できない |
| 対日輸出 | 記載なし | 生鮮かんきつは日本への輸入が認められていない |
| 連絡先 | 記載なし | 省・社の農業担当部署か、産地報道の取材元を経由するほかない |
右列がほぼ「非公表」で埋まる状態は、ベトナムの個別農家を取材記事から拾うときの標準的な姿でもある。裏返せば、産地側が単価・記録・認証を出せる形に整えるだけで、日本側から見た接触コストは大きく下がる。
まとめ
7ha近い柑橘園が台風の全損から立て直した過程は、資材を替えた話ではなく順番を替えた話だった。土を戻し、草を残し、物理的に虫を遮り、そのうえで残った防除を生物由来の資材でまかなう。散布を減らすこと自体が目的ではなく、減らしても回る状態を先に作っている。
日本の調達担当が今日から取れる行動はふたつある。ベトナムの果実産地に減農薬を求める文面を見直し、資材の指定から入らず、土壌と物理防除への投資に単価か複数年契約でどう報いるかを同じ紙に書くこと。もうひとつは、生鮮で入らない品目でも産地の管理水準を記録に残しておくこと。同じ農家が別の品目へ移ることは珍しくなく、加工原料としての引き合いはそのときに動く。ハティンの丘で誰が何をどう作っているかを先に知っている企業と、解禁の報を見てから探し始める企業とでは、動き出しの速さが変わる。
参照元:Nông nghiệp và Môi trường/Nông nghiệp và Môi trường(ハティン有機オレンジ)/Báo Hà Tĩnh/農林水産省 植物防疫所