中部ベトナム・ダナンの漁村ハーロックで、月収1億ドン超の油田エンジニアだった34歳の男性が職を捨て、故郷の海に帰った。彼が守るのは64ヘクタールのバウダウ(Ba Dau)珊瑚礁。漁師たちと国境警備隊で組んだ40人超のチームが毎月パトロールし、魚を獲る海から魚を育てる海へと舵を切った。背景には「安定した生計がなければ、人は環境保護の意味を本当には理解しない」という一言がある。これは美談で終わらない。水産物を仕入れる日本のバイヤーや、産地の持続可能性を問われ始めた農水産関係者にとって、調達先を見極めるうえで示唆に富む現場の話だ。
油田エンジニアが故郷の海に戻るまで
主人公はヴォ・ホン・ロン(Vo Hong Ron)氏、34歳。石油・ガス会社で2014年から2017年まで働き、月収は1億ドンを超えていたと現地報道は伝える。為替を1円およそ170ドンで換算すると、月およそ58万円規模。地方の漁村出身者としては破格の待遇だ。それでも彼は職を辞し、自分の漁船も1億ドンで売却して、故郷の海の再生に資金と時間を投じる側に回った。
転機は海の劣化だった。獲りすぎとゴミ、無秩序な漁が珊瑚を痛めつけ、魚が減る。ロン氏は2020年から2022年にかけて40回ものビーチ清掃を主導し、数百トラック分とされる廃棄物を浜から運び出した。同時に、地域初の海辺ホームステイを立ち上げ、後に「ブルー・ホエール」という飲食店も開いた。漁から観光へ、自分の生計をまず動かして見せたのである。
「64ヘクタールを守る」という具体性
バウダウ珊瑚礁はダナン市タムスアン地区(旧クアンナム省タムティエン)のハーロック漁村沖、東海(南シナ海)に広がる。ホイアンから約40キロ。保護対象は64ヘクタールで、珊瑚被度は平均30%程度と報じられている。岩礁が魚の隠れ家となり、漁業資源の供給源になる海だ。
2022年10月、漁師や国境警備隊を含む40人超で共同管理チームが発足した。ロン氏は副隊長を務める。チームはモーターボートで毎月パトロールし、64ヘクタール全域を見回って違法操業や珊瑚の異変を監視し、禁漁区を実際に機能させている。「禁漁区にします」という宣言ではなく、毎月人が船を出して見回るという運用の継続が肝だ。
クアンナム・ダナンの先行モデルと比べる
この取り組みは突然変異ではない。同じ中部、ホイアン沖のクーラオチャム(Cu Lao Cham)海洋保護区は、約20年にわたる共同管理(コ・マネジメント)で知られる。住民参加型の管理で珊瑚礁の状態が改善し、ベトナムの珊瑚礁は良好とされる割合が低いなかで、同保護区は数少ない優良事例と報じられてきた。住民の多くが漁から観光へ生計の軸を移したとも伝えられる。
| 項目 | バウダウ礁(ハーロック) | クーラオチャム海洋保護区 |
|---|---|---|
| 所在 | ダナン市タムスアン地区 | ホイアン沖の島嶼部 |
| 保護面積 | 64ヘクタール | 島嶼を含む広域保護区 |
| 管理の担い手 | 漁師・国境警備隊ら40人超の共同管理チーム(2022年〜) | 住民参加型の共同管理(約20年) |
| 生計の転換 | 宿泊20軒・飲食へ広がる初期段階 | 住民の多くが観光へ移行 |
規模も歴史も差はある。だが「住民が当事者として海を見回る」「漁の代わりの収入を観光でつくる」という設計思想は同じ系譜にある。バウダウ礁は、その縮図を新しい現場で再生産している。
現場と業界の受け止め
漁村の中では、当初は懐疑の声もあったと現地報道はにじませる。獲れる海を禁漁にすれば、目先の収入は減る。だからこそロン氏は自分の船を売り、宿と店という代替収入の実例を先に示した。漁師仲間がパトロールチームに加わったのは、保護が生計の敵ではなく前提だと体感したからだ。
観光客側の反応も追い風だ。ハーロックには宿泊施設が20軒生まれ、数百人規模の宿泊客を受け入れるまでになったと伝えられる。珊瑚礁という資源そのものが集客装置になり、海を守るほど客が来る循環が回り始めている。研究者の間でも、ベトナムでは住民の認識と参加を高める共同管理が珊瑚礁保全の現実解として注目されており、バウダウの事例はその文脈に位置づけられる。
ベトナム全体では、設定された16の海洋保護区のうち11が2025年6月時点で設立済みとされ、保護と観光・責任ある漁業を両立させる政策の流れが強まっている。バウダウはトップダウンの保護区指定ではなく、住民起点の小さな自治から始まった点で、その流れを補完する事例といえる。
日本の水産バイヤー・産地への示唆
この話を「いい話」で消費すると、肝心の示唆を逃す。日本の水産関係者にとっての論点は3つある。
第一に、調達先の持続可能性を測る物差しが変わりつつあることだ。ベトナム産水産物を扱う日本のバイヤーは、価格と数量に加えて、産地が資源をどう管理しているかを問われる時代に入っている。MSC(海のエコラベル)やASC(養殖版)のような認証は、漁獲から製品までのトレーサビリティを担保する仕組みで、日本国内でもラベル付き製品が年々増えている。バウダウのような住民起点の管理は認証取得そのものではないが、認証審査が前提とする「資源管理の実態」を地域に蓄積していく動きだ。仕入れ先を選ぶ際、こうした地域の取り組みを把握しておくことは、将来の調達リスクを下げる。
第二に、産地の物語が値づけの根拠になることだ。ロン氏の珊瑚礁とホームステイは、観光の付加価値を地域に残す設計になっている。日本でも産地表示や生産者の顔が販売価値を持つように、ベトナムの水産・農産物も「どう守られた海・畑か」が語れるほど差別化しやすい。輸入バイヤーが現地の保全ストーリーを把握しておけば、国内向けの商品企画やラベル訴求にそのまま転用できる。
第三に、観光と一次産業をつなぐ地域づくりのモデルとして参考になる点だ。日本の漁村・農村が直面する後継者難や資源減少に対し、生計の柱を観光へ広げて当事者の保全インセンティブを作る発想は、国内の産地再生にも通じる。ベトナムの近隣事例として、広寧省でエビの通年養殖を実現した生産者や、カマウでブラックタイガーの復活に挑む動きも、生産と環境を両立させようとする同じ潮流にある。
市場・産業への波及
珊瑚礁の保全は、観光収入だけでなく漁業資源の再生にも直結する。岩礁が稚魚の隠れ家となり、禁漁区の周辺で漁獲が回復する「スピルオーバー効果」は各地で報告されてきた。短期的には禁漁で収入が減っても、中期では獲れる魚が戻り、長期では観光が定着する。バウダウはまだ転換の初期段階だが、この時間軸の設計を漁村単位で回せるかどうかが分かれ目になる。
輸出市場の観点でも無視できない。ベトナム水産は主要輸出先の構成を見直す局面にあり、中国向けへのシフトが進む動きも伝えられる。輸出競争力を価格だけで支えるのは難しくなっており、資源管理とトレーサビリティが次の競争軸になる。住民起点の保全が各地に広がれば、ベトナム産水産物全体の「持続可能性ブランド」を底上げしうる。日本の調達側は、その萌芽を早めに掴むほど有利だ。
実用情報・関連リンク
バウダウ礁があるタムティエン一帯は、2025年7月にクアンナム省がダナン市へ統合された地域に含まれる。住所表記は新「ダナン市タムスアン地区」に変わっているため、視察や取引で現地を調べる際は旧クアンナム省タムティエンの名称と併せて確認するとよい。ホイアンから約40キロと近く、クーラオチャム視察とあわせた現地調査の動線が組みやすい。
水産物の持続可能性を商談で語る前提として、MSC・ASC認証の仕組みと国内の取扱状況を押さえておくと、ベトナム産地の取り組みを評価する際の共通言語になる。住民起点の管理が認証の素地を作る関係を理解しておくと、産地評価の精度が上がる。
まとめ:次の一手
バウダウ礁の物語の核は、保護と生計を対立させず、生計を先に整えて保護の当事者を増やしたことにある。日本の水産バイヤー・産地関係者が取るべき次のアクションは具体的だ。まず、ベトナムから仕入れる品目について、その産地がどんな資源管理をしているかを一次情報で確認する。次に、保全ストーリーを持つ産地を商品企画やラベル訴求の材料として位置づける。そして、自社の国内産地にも「観光や体験で生計の柱を増やし、保全の当事者を育てる」設計を当てはめてみる。守るほど価値が上がる海は、ベトナムだけの話ではない。
参照元
- Nong nghiep Moi truong・Ron and the tales of Ba Dau coral reef
- Earth Journalism Network・Cu Lao Cham: A Bright Spot in Marine Conservation
- Frontiers in Marine Science・The enhancement of community perception and participation in sustainable coral reef management models
- Invest Da Nang・The merger of Quang Nam and Da Nang