メコンデルタの増水期に、上がってくる水位に合わせて茎を3〜5mまで伸ばす在来稲がある。ベトナム語で lúa mùa nổi、日本語では浮き稲と呼ばれる。2026年9月24日付のベトナム農業環境紙は、アンザン大学・気候変動研究所の副所長レ・タイン・フォン氏が十数年追ってきたこの稲について、遺伝資源として囲い込む保存から、市場で値がつく作物として畑に戻す方向へ軸足を移した経緯を伝えた。反収は2トン/haで、現地報道も低収量と書く水準にある。それでも買い手が現れている。ベトナムから原料を調達する日本の食品担当者にとって、この稲がいま何を出せて何を出せないのかを、現地報道の数字で確かめておく。
アンザン大学が2014年から採種と復元を続けてきた
種子は守れても、植える理由が残らなかった
起点記事によると、アンザン大学の研究グループが浮き稲の在来品種を収集し、純化・復元(phục tráng)する作業に入ったのは2014年ごろ。2018年には古い浮き稲品種のひとつ「ナン・タイ・ドゥム(Nàng Tây Đùm)」が分析され、研究が続いた。ただし種子を守れたのは道半ばで、残ったのは「経済価値を生まないなら誰が植えるのか」という問いだったと同紙は書いている。
古い在来種は、香り・柔らかさ・粘りといった現在の一般米市場が好む特性を必ずしも備えていない。強みは深水と厳しい増水条件への耐性のほうにある。普通の米として収穫して売るだけでは、その強みが農家の収入に変わらない。低収量の作物に値をつけるには、売る相手と形を先に決める必要があった。
2025年に「別の見方をする企業」が現れた
フォン氏の説明として同紙が伝えるのは、2025年になってこの稲の特性を活かした製品を開発できる企業が現れ、その後にトゥーザック・ロンスエン(Tứ giác Long Xuyên)地域で地方政府・研究者・企業・農家の連携が段階的に形づくられていった、という順序だ。
ここは読み違えやすいので線を引いておく。起点記事は企業名も契約額も書いておらず、連携が形成されつつあるという段階の記述にとどまる。加工原料としての本格的な取引が始まったとは書いていない。原文が示しているのは、保存研究から産地形成へ移る途中経過である。
反収2トンの稲に14,000〜15,000ドンがつく
作付面積は300ha前後、反収は2トン
起点記事には面積・収量・価格の数値がない。そこで同紙の過去記事から、裏の取れる数字だけを拾って並べる。
| 項目 | 数値 | 出典記事の時点 |
|---|---|---|
| 1985年以前のデルタ作付面積 | 最大50万ha | 2021年10月 |
| デルタ全体の残存面積 | 300ha前後 | 2021年11月 |
| チートン地区の面積 | 約70ha | 2021年8月 |
| 反収 | 2トン/ha | 2021年11月 |
| 生育期間 | 約6か月 | 2021年8月 |
| 播種量(ロンアン省タンフン郡の100ha) | ドローン80kg/ha、従来の手播き約200kg/ha | 2021年11月 |
| 籾の買取価格(チートン) | 14,000〜15,000ドン/kg | 2021年8月 |
| 精米の価格(同) | 25,000〜26,000ドン/kg | 2021年8月 |
値段はどの段階の値かで意味が変わる
14,000〜15,000ドン/kgは籾(lúa)の買取値で、25,000〜26,000ドン/kgは精米(gạo)の値だ。段階の違う二つを並べて倍率を出すと実態を外す。籾15,000ドン/kgは、2026年9月25日時点の1円=約163.6ドンで換算すると約92円/kg。同紙は、浮き稲の精米がニッチ市場で評価され、通常の稲の2〜3倍で売れることがあると書いている。ただしこれも精米と籾を比べた数字で、しかも産地側の相場観だ。日本着の価格とは別物と見ておきたい。単価の取り方という点では、端境期に出荷して旬の二倍の単価を取ったハイフォンの蓮の事例のほうが構造は近い。
2025年に動いたのはアンザンだけではない
タイニンは2024年産の実績を受けて112haへ広げた
2025年7月、クアイナム・グループ傘下のアマナ浮き稲社が、タイニン省の浮き稲サービス協同組合と2025年の生産・消費連携契約に調印している。対象はヴィンチャウ社96haとタンフン社16ha、合計112ha(96+16=112で整合)。全量を15,000ドン/kgの固定価格で買い取る内容で、100戸超が参加する。WWFベトナムが進める気候変動適応事業「CRxN Mekong」の枠内の取り組みだ。
拡大の根拠として同紙が挙げるのは2024年産の実績で、浮き稲から作った麺やフォーなどの加工品がドイツ市場に入り、英国最大のベトナム商品小売チェーン Longdan の棚にも並んだ、と書かれている。ドイツ市場への参入と英国の小売チェーンは別の話なので、まとめて「欧州で販売中」とは書けない。
ヴィンガイの協同組合は20年の枠組みと200haの計画
アンザン側の動きが表に出たのは2026年5月8日。同省ヴィンガイ社で浮き稲協同組合の発足式と、国・農家・科学者・企業による「4者連携」の調印が行われた。組合員は30名、代表はズオン・ミン・ザン氏。初期段階で200ha超の原料圏を整え、年およそ400トンの籾供給を見込むという計画が示された。連携期間は20年、企業側は O Plant-Based Food 社である。
同社は現地に試験工房を設け、米パン、サンドイッチ、ピザ、ナン・タイ・ドゥムの全粒粉を使った蒸しパンといった植物性食品を開発する計画を説明している。いずれも計画の説明であって、製品が出荷されている段階ではない。一方、ヴィンガイ社の副主席は、アンザン大学の13年以上の伴走によって約75haをナン・タイ・ドゥムやナン・チョイなどの古い品種で回復させたと述べている。実績は75ha、200haは計画値という読み分けが要る。
年400トンの原料に日本の買い手は何を当てられるか
量の桁を先に押さえる
400トン÷200ha=2トン/haで、供給計画は前述の反収とちょうど整合する。ただ絶対量は小さい。籾ベースで20フィートコンテナ1本を18〜20トンと置くと、年400トンは20本前後にしかならない(筆者の試算)。デルタ全体でも2021年時点で300ha前後、これにタイニンの112haとヴィンガイの計画200haを足して600ha台。量で押すタイプの調達には最初から向かない。
接点があるとすれば、少量・高単価で来歴を語れる用途に限られる。現地で先行しているのは麺・フォー・米パンといった加工品で、いずれも玄米・全粒の形を残したまま風味と物語を売る設計になっている。低収量の素材を部位別の規格に割って値をつけたダラットのアーティチョークや、深加工へ進もうとするカウダットの有機アラビカと同じ土俵で考えたほうが現実的だ。
農薬を使わないことと有機認証は別
現地記事は、浮き稲の農家が肥料も農薬もほとんど使わないと繰り返し伝えている。ただしこれは栽培慣行の説明であり、有機認証の保有を意味しない。タイニン側は化学肥料・農薬を使わない栽培指導によって有機農業の条件を満たすという書き方で、WWFはトレーサビリティを備えた集約産地の形成を今後の目標に掲げている段階だ。日本側が扱うなら、産地コード、残留農薬の分析成績、認証の種類と範囲を一つずつ確認するところから始まる。
もう一点、増水に依存する作物である以上、洪水が小さい年は生育が鈍り鼠害も出ると同紙は書いている。単年の契約で数量を固定するより、複数年で幅を持たせた枠を置くほうが実務に合う。
浮き稲を仕入れるなら、どの時期に誰へ声をかけるか
産地ごとの面積と窓口
| 産地 | 面積 | 窓口になる主体 | 現在の段階 |
|---|---|---|---|
| アンザン省ヴィンガイ社 | 回復済み約75ha/原料圏200ha超は計画 | 浮き稲協同組合(組合員30名)、アンザン大学 | 2026年5月に4者連携を調印、製品は開発計画 |
| タイニン省ヴィンチャウ社・タンフン社 | 112ha(96+16) | 浮き稲サービス協同組合、アマナ浮き稲社 | 2025年産の全量を15,000ドン/kgで買い取る契約、加工品は2024年産で輸出実績あり |
| アンザン省チートン地区(2021年時点) | 約70ha | 複数の企業が買取 | 籾14,000〜15,000ドン/kgの相場が出ていた |
作期は旧暦5月ごろの播種から約6か月で、収穫は増水が引く年末にかかる。日本側の商談は、作付けが決まる前の上半期に入れておかないと、その年の数量には乗れない。
最初に取りに行く三つの数字
- 2026年産の実作付面積と品種の内訳(ナン・タイ・ドゥムとナン・チョイの比率)
- 籾の建値と精米歩留まり、どの段階の渡しかの明示
- 残留農薬の分析成績、産地コード、認証の有無と範囲
この三つが揃わないうちは、数量や価格の話に進んでも噛み合わない。逆に、窓口が協同組合と大学に絞られている今は、少量から関係を作るには入りやすい。ただし二つの産地は状態が違う。タイニンは単年契約ながら全量の買い手が決まっていて、加工品の輸出実績もある。ヴィンガイは20年の連携枠と企業による安定買取の確約がある一方、製品側はまだ開発計画の段階だ。すでに動いている流れに割り込むより、試験工房がこれから立つヴィンガイで用途を一緒に決めにいくほうが入口としては広い。どちらに当たるにせよ、2027年産の作付けが決まる前の上半期が相談の時期になる。
参照元
- Hồi sinh giống lúa mùa nổi bằng giá trị thị trường(2026年9月24日)
- Hồi sinh lúa mùa nổi bằng liên kết ‘4 nhà’(2026年5月8日)
- Phát triển nông nghiệp sinh thái thích ứng với biến đổi khí hậu(2026年8月20日)
- Trồng lúa mùa nổi ‘thuận thiên’ để xuất ngoại(2025年7月22日)
- Lúa mùa nổi không phân, không thuốc(2021年11月2日)
- Độc đáo giống lúa lóng vươn dài 3 – 5m(2021年8月16日)
- Nâng tầm giá trị lúa mùa nổi(2021年10月3日)