ベトナム北部トゥエンクアン省トゥオンノン・コミューンで、26世帯が計13ヘクタールの畑を薬用作物「sa nhân tím(サニャン・ティム、紫縮砂)」に切り替えた。少数民族・山岳地域の社会経済発展に充てる国家目標プログラムの生産支援を財源に、苗と栽培技術の提供を受けての転換だ。対象はトゥオンザップ村とバンゾーンの2集落にまたがる。
金額の大きな輸出案件ではない。それでも日本の食品メーカーや原料バイヤーが目を通す価値があるのは、これが「薬用・香辛料の原料をどこの産地から引くか」という調達地図の書き換えに直結するからだ。中国とインドに偏りがちな生薬・スパイス原料の供給先を、ベトナム北部の山地がもう一つ増やそうとしている。
26世帯・13haで動いた薬用作物への転換
元記事が伝えるのは、コミュニティ単位の生産支援プロジェクトだ。住民は苗の配布を受け、植える場所の選定、土づくり、株間の取り方、除草と施肥、病害虫の防除まで一連の技術指導を受ける。狙いは新しい生計の柱をつくり、収入を底上げして貧困から抜け出す道を残すこと。行政側は「生産と販売をつなぐ」方針を掲げるが、買取価格や販路の具体、収穫までの年数、苗の本数といった数字は今回の記事では公表されていない。
13haを26世帯で割ると1世帯あたりおよそ0.5ha。山あいの傾斜地で、大規模なプランテーションではなく小口の農家が束になって面積をつくる形だ。この規模感は、後述する日本側の調達を考えるうえで重要になる。
sa nhân tímとは何か——縮砂につながる薬用のショウガ科
sa nhânはショウガ科アモムム属(Amomum)の総称で、その種子は日本や中国の伝統薬では「縮砂(しゅくしゃ)」の名で知られる。香りのある健胃薬として、胃腸の働きを助け、消化不良や腹の張りをやわらげる目的で処方に用いられてきた。カルダモンと同じ科に属する香辛料的な性格も持つ。「tím」はベトナム語で紫を指し、紫がかった品種を紫縮砂と呼ぶ。作物の正確な同定には現地での確認が要るため、ここでは原文の呼称sa nhân tímを併記しておく。
薬用として売る作物は、青果と違って生鮮の足の速さに縛られない。乾燥させた種子や果実の形で流通するため、山間部から市場までの距離というハンデを負いにくい。天然採取に頼ってきた薬草を畑で計画的に育てる動きは各地で進んでおり、北部ではクアンニンが薬用根「地レン」を野生採取から産地化した事例がある。今回のトゥエンクアンも、その系譜に連なる転換だ。
プロジェクトの数字
| 省・地域 | トゥエンクアン省(ベトナム北部山地) |
| 実施地 | トゥオンノン・コミューン(トゥオンザップ村・バンゾーン) |
| 作物 | sa nhân tím(紫縮砂/Amomum属) |
| 参加世帯 | 26世帯 |
| 栽培面積 | 13ha(1世帯あたり約0.5ha) |
| 財源 | 少数民族・山岳地域の社会経済発展 国家目標プログラム |
| 支援内容 | 苗の配布+栽培・管理の技術指導 |
| 報道日 | 2026年8月11日 |
数値は起点記事(trangtraiviet.danviet.vn)の記載に基づく。買取価格・収量・収穫年数・苗本数は記事では公表されていないため本稿でも記さない。
なぜ山地で薬用作物なのか
選ばれたのが野菜でも果物でもなく薬用作物だった点に、山岳地域の事情が表れている。標高の高い痩せた土地では、水分と鮮度が命の青果は輸送で不利になりやすい。乾物で売れる薬草なら、市場までの距離という弱みを回避できる。トウモロコシや陸稲といった換金性の低い作目に代わる収入源として、単価の取れる薬用・香辛料作物に賭ける判断だ。
国家目標プログラムを財源にした点も見逃せない。苗代と技術指導という初期の負担を公的資金が肩代わりすることで、資本の乏しい少数民族の農家でも植え付けに踏み出せる。ベトナム北部では同じ縮砂系の作物で、ランソン省が森を伐らずに縮砂で稼ぐ産地づくりを進めた事例もあり、産地は一つに集中せず複数の省へ広がりつつある。買い手から見れば、同じ原料を別の省からも引ける状態が育ちはじめている。
日本の調達にとっての意味
縮砂は漢方薬メーカーや健胃薬の原料として日本にも需要がある生薬だ。この種の薬用・香辛料原料は、供給を中国やインドの特定産地に頼る構図が長く続いてきた。産地が一極に偏るほど、天候不順や輸出規制、価格の急騰といった一つの出来事で調達全体が揺らぐ。ベトナム北部に縮砂の産地が複数立ち上がることは、原料の調達先を分散させたいメーカーにとって選択肢が増えることを意味する。
ベトナム北部の山地は、標高と気温の点で縮砂系のショウガ科作物が育ちやすく、林床や傾斜地を使えるため森林を伐り開かずに栽培面積を確保できる利点がある。既存の茶やトウモロコシと違って国家プログラムの後押しが付く分、産地としての立ち上がりは早い。日本のメーカーにとっては、既存の中国産ロットと品質・香りの成分をどう比べるか、代替や併用が効くかを早い段階で試す材料になる。生薬は同じ種名でも産地で成分の出方が変わるため、サンプル段階での比較検証が調達判断の前提になる。
ただし今回の13haは、いますぐ大口の輸出契約を結べる規模ではない。26世帯の小口が束になった産地であり、乾燥や選別、品質の均一化、そしてどの畑から採れたかを追えるトレーサビリティが整うかどうかが、原料として買えるかの分かれ目になる。薬用作物は「一度植えれば数年から十年単位で採り続けられる」多年生のものが多く、ランソン省が薬用クチナシで十年採取の生薬産地を拓いた例のように、いったん軌道に乗れば安定調達の候補になりうる。買い手側は、植え付け直後のいまではなく、初収穫を迎える数年後を見据えて産地と関係をつくる姿勢が要る。
産地化を追う際の実務ポイント
- 作物の同定を先に固める:sa nhân tímが具体的にどの学名の種を指すか、種子か果実のどの部位を出荷するかを現地で確認する。生薬として使うなら日本薬局方や社内規格との照合が前提になる。
- 初収穫の時期を待つ:植え付け段階では出荷量が読めない。数年後の収穫実績と乾燥品の品質を見てから調達判断に入る。
- 小口産地の束ね方を確認する:26世帯を誰がまとめ、乾燥・選別・出荷を担うのか。協同組合や仲介者の有無で品質の均一性が変わる。
- 残留農薬と乾燥工程:薬用原料は残留基準とカビ・水分管理が厳しい。技術指導の中身が防除と乾燥まで及んでいるかを見る。
いま押さえておくこと
トゥエンクアンの26世帯・13haは、金額で語るニュースではない。国家プログラムの資金で山地の農家が薬用作物へ舵を切り、ベトナム北部に縮砂の産地がもう一つ生まれつつある——その一点にバイヤーは注目すればいい。日本の生薬・香辛料の調達を中国偏重から解きほぐしたいなら、いまの段階でやるべきは大量発注ではなく、作物の同定と産地の担い手を把握し、初収穫を迎える数年後に向けて情報の窓口を開いておくことだ。産地は一夜にできない。植わったばかりの畑を、いつ・どの品質で買えるかを問い続ける側だけが、産地が育ったときに最初の買い手になれる。