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アジア農業が直面する課題とSDGsの必要性
東南アジアは世界有数の農業地帯として、熱帯モンスーン気候と肥沃なデルタ地帯を背景に、数千年にわたる農耕文明を育んできました。
ベトナムは人口約一億人を擁する農業大国で、GDPの約12%、労働人口の40%以上が農業に従事しています。コメの年間生産量は約4,350万トンで輸出量は世界第二位、コーヒーはブラジルに次ぐ世界第二位の生産量でロブスタ種では世界最大、カシューナッツとブラックペッパーは世界第一位、エビは生産量世界第三位・輸出量第二位を誇ります。
しかし、こうした生産実績の裏側には、構造的課題が存在します。農家の平均耕地面積は約0.44ヘクタールでASEAN諸国の中でも最小クラスであり、全農業従事者の97%が中小規模農家です。農業労働者の約57%が非熟練者、50歳以上の割合は約43%に達しています。
付加価値の低さ、コールドチェーンの未整備、食品安全と環境問題という課題を抱える中で、持続可能な開発目標(SDGs)の達成は、アジア農業の未来を左右する重要なテーマとなっています。
取り組み1:気候変動に強い農業システムの構築
アジア農業が直面する大きな脅威の一つが気候変動です。ベトナムのメコンデルタ、ミャンマーのイラワジデルタ、タイのチャオプラヤデルタは、いずれも海抜が低く、塩水浸入や洪水のリスクが年々増大しています。
メコンデルタは国内コメ生産量の半分以上を担う世界有数の生産地帯ですが、海面上昇による塩水浸入、洪水の激化、乾季の水不足は年々深刻化しており、農業生産への影響が懸念されています。
この課題に対し、国際稲研究所(IRRI)は洪水耐性品種「Sub1」や塩害耐性品種を開発しました。これらの品種は、ベトナム、バングラデシュ、インドなど広域で普及しており、従来の品種と比較して、洪水や塩害による収量減少を大幅に抑制することができます。
また、水管理技術の改善も重要な取り組みとなっています。メコンデルタでは、水管理システムの導入による節水型稲作の実証が進んでおり、限られた水資源を効率的に活用する技術が確立されつつあります。

取り組み2:小規模農家の生産性向上とスマート農業の導入
アジア農業の担い手の大半は小規模農家です。ベトナムでは全農業従事者の97%が中小規模農家であり、機械化やスマート農業技術の導入が進んでいません。
この状況を改善するため、ベトナム政府は「2030年までの持続可能な農業農村開発戦略、2050年までのビジョン」を掲げ、スマート農業の導入を国家的優先課題として位置づけています。
スマート農業には、IoTセンサーによる環境モニタリング、ドローンによる農薬散布、AIを活用した病害虫予測、水耕栽培の自動化など、さまざまな技術が含まれます。ラムドン省(ダラット周辺)は、ベトナムにおけるスマート農業の先進地域であり、野菜栽培の温室システムや自動灌漑システムが導入されています。
ただし、スマート農業の導入には初期投資が必要であり、資金力の乏しい小規模農家への普及が課題となっています。そこで重要になるのが、高価な設備を前提としないローコスト型のスマート農業モデルの開発です。
日本企業による中小規模グリーンハウスの導入や遠隔栽培支援ソリューションの実証事業が展開されており、小規模農家でも導入可能な技術の開発が進められています。

取り組み3:有機農業と環境負荷低減技術の推進
持続可能な農業を実現するためには、環境への配慮が重要です。過度な農薬・化学肥料の使用による土壌劣化や水質汚染、残留農薬の問題は、国内消費者の健康リスクと輸出先国の衛生基準への対応という二重の課題を突きつけています。
2023年5月の日ASEAN農林大臣会合で採択された「日ASEANみどり協力プラン」は、アジアモンスーン地域の持続可能な農業・食料システムの構築に向けた包括的な協力枠組みです。
タイは東南アジアで有機農業の制度整備が進んでいる国のひとつであり、「タイ有機農業基準」の下で認証制度が運用されています。タイ政府は有機コメの輸出を成長戦略として位置づけ、ジャスミンライスの有機栽培を積極的に推進しています。
ベトナムでも、農業農村開発省が有機農業の拡大を政策目標として掲げていますが、有機認証を取得した農地面積はまだ全体のごくわずかに過ぎません。カンボジアやラオスでは、化学農薬・肥料の使用量がもともと少ないという特性を活かし、有機農業を国際市場での差別化戦略として打ち出す動きがあります。
日本は「みどりの食料システム戦略」で掲げる環境負荷低減技術の国際展開を、ASEANを重要パートナーとして位置づけており、精密農業技術の移転、有機農業の推進支援、温室効果ガス排出削減のための水田管理技術の導入が進められています。

取り組み4:農産物の高付加価値化とバリューチェーン構築
アジア農業が「量から質へ」転換するうえで、農産物の加工と高付加価値化は中核的なテーマとなっています。
ベトナムの農林水産業総輸出額は2023年に約530億ドルに達し、国全体の輸出の15%以上を占めていますが、農産物輸出の大部分が未加工の一次産品であり、加工を経て付加価値を高めた製品としての輸出は限定的です。
コーヒーを例に取れば、ベトナムは世界第二位の生産量を持ちながら、生豆のまま輸出される割合が高く、焙煎・加工された最終製品としてのブランド価値は、コロンビアやエチオピアなどの競合国に後れをとっています。
ベトナム政府は2030年までに農業・食品加工で世界トップ15に入ることを目標に掲げており、加工施設への投資誘致、コールドチェーンの整備、ブランディングの強化を三本柱とする政策を推進しています。
ここで鍵となるのが、乾燥加工や粉末加工といった一次加工技術です。熱帯の農産物は腐敗が早く、そのままでは長距離輸送や長期保存が困難ですが、乾燥や粉末化を施すことで保存性が飛躍的に高まり、物流コストも削減できます。
乾燥野菜、乾燥果物、フリーズドライ製品は、健康志向の高まりを背景に先進国市場での需要が拡大しており、東南アジアの農産物が付加価値を持って先進国に届けられる有力な手段となっています。
カンボジアでは、世界銀行が支援する「カンボジア農業部門多様化プロジェクト」が実施されており、国際支援を活用した農業バリューチェーンの構築が進められています。

取り組み5:食品安全とトレーサビリティの確保
国際市場で競争力を高めるためには、食品安全とトレーサビリティの確保が重要です。EU、日本、アメリカなどの主要輸出先は、残留農薬基準や衛生基準を年々厳格化しており、これに対応できない農産物は市場から締め出されます。
ベトナムの水産物輸出額は年間約90億ドルに達し、日本、アメリカ、EU向けが主要市場となっていますが、輸出先の品質基準や衛生基準を満たす必要があり、これが小規模農家にとっては参入障壁となっています。
ベトナムでは近年、農産物のトレーサビリティシステムの構築が進められており、ブロックチェーン技術を活用した産地追跡システムの導入や、GAP(適正農業規範)認証の普及が試みられています。ただし、小規模農家レベルでの実装は遅れており、全体としてはまだ初期段階にあります。
国際水準GAPの導入は、SDGsの複数の目標達成に貢献します。目標2「飢餓をゼロに」では持続可能な食料生産システムの確保、目標12「つくる責任つかう責任」では持続可能な生産と消費、目標15「陸の豊かさも守ろう」では土地と土壌の質の改善が求められており、GAPはこれらの目標を統合的に達成する手段となります。
取り組み6:農業従事者の生活向上と雇用創出
持続可能な農業を実現するためには、農業従事者の生活向上が重要です。ASEAN諸国に共通する構造的課題として、農業部門と工業・サービス部門の所得格差があります。
ASEAN原加盟国(タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン)では過去三十年で農工間格差がおおむね縮小傾向にある一方、CLMV諸国(ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア)では、工業化の急進に伴い格差がむしろ拡大しています。
この格差は、農村部から都市部への労働力の流出を加速させています。若年層は製造業やサービス業の雇用機会を求めて都市に移住し、農村には高齢者が残されます。ベトナムでは農業労働者の43%が50歳以上であり、この傾向は東南アジア全域で共通しています。
農業の担い手不足は、単に労働力の量的な問題にとどまらず、新技術の導入や経営の近代化を阻む質的な問題でもあります。
この課題に対し、各国政府は小規模食料生産者の農業生産性及び所得を倍増させることを目標に掲げています。土地、その他の生産資源や、投入財、知識、金融サービス、市場及び高付加価値化や非農業雇用の機会への確実かつ平等なアクセスの確保が重要となっています。
タイは一戸あたりの農地面積が平均約3ヘクタールでベトナムより大きく、商業的農業の歴史が長いため、農業の近代化が比較的進んでいます。

取り組み7:国際協力とパートナーシップの強化
SDGsの目標17は「パートナーシップで目標を達成しよう」です。アジア農業の持続可能性を実現するためには、国際協力が重要な役割を果たします。
2023年5月の日ASEAN農林大臣会合で採択された「日ASEANみどり協力プラン」は、その象徴的な取り組みであり、アジアモンスーン地域の持続可能な農業・食料システムの構築に向けた包括的な協力枠組みを提供しています。
日本の強みは、中小規模農家に適した技術やノウハウを持つ点にあります。大規模農業を前提としたオランダや韓国のスマート農業ソリューションとは異なり、日本の農業技術は東南アジアの小規模農家の実情に適合する可能性が高いのです。
具体的には、精密農業技術の移転、有機農業の推進支援、温室効果ガス排出削減のための水田管理技術の導入、そして農産物バリューチェーンの高度化支援が柱となります。
インドネシアはASEAN最大の人口(約二億八千万人)と国土面積を持ち、農業生産額でもASEAN最大です。パーム油は世界最大の生産国で、マレーシアと合わせて世界生産量の85%以上を占めますが、プランテーション開発に伴う熱帯雨林の破壊、泥炭地の開墾による温室効果ガスの排出、生物多様性の喪失が国際的な批判を受けています。
持続可能なパーム油生産に向けた認証制度(RSPO)の普及が進んでおり、国際協力によって環境と経済の両立が模索されています。
フィリピンはバナナの輸出量で世界有数の地位を占め、日本向けバナナの多くがミンダナオ島南部から出荷されていますが、年間平均二十個近い台風が接近または上陸し農作物への甚大な被害が発生するリスクが高く、災害に強い品種の開発や農業保険制度の充実が国際協力のテーマとなっています。

アジア農業の未来とSDGs達成への道筋
アジア農業は、巨大な可能性と課題を同時に抱えています。世界有数の農産物輸出地域でありながら、付加価値の低さ、気候変動への脆弱性、小規模農家の生産性の停滞、コールドチェーンの未整備など、構造的な問題は多岐にわたります。
しかし、その裏返しとして、改善の余地がそのまま成長の余地でもあるのです。
ベトナムを筆頭に、東南アジア各国は「農業生産」から「農業経済」への意識転換を加速させています。量を追求する時代から、品質・安全性・環境持続性・ブランド価値を重視する時代への移行は、日本をはじめとする先進国の企業にとっても大きなビジネスチャンスを意味します。
農産物の乾燥加工や粉末化による付加価値向上、スマート農業技術の中小規模農家への展開、有機農業の認証支援、コールドチェーンの構築支援——いずれも、技術とノウハウを持つ日本企業が貢献できる領域です。
同時に、東南アジア農業の発展は、世界の食料安全保障にとっても重要な意味を持ちます。世界人口が80億人を超え、気候変動が各地の農業生産に影響を及ぼす中で、東南アジアの熱帯農業が持つ生産ポテンシャルは、地球規模の食料供給を支える基盤のひとつとなっています。
一億人の胃袋を持つベトナム、二億八千万人のインドネシア、七千万人のタイ。これらの国々の農業が高度化し、グローバルバリューチェーンに深く組み込まれていく過程は、二十一世紀のアジア経済を語るうえで欠かせない物語になるでしょう。
東南アジアの農村の風景は、今まさに大きな変貌の只中にあります。SDGsの達成期限である2030年まで、残された時間は多くありませんが、7つの取り組みを着実に実行し、国際協力を強化することで、アジア農業は持続可能な未来を切り拓くことができるはずです。